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西岡 文彦(にしおか ふみひこ)
著述家
1952年、山口県出身。著述家。柳宗悦門下の版画家、森義利に師事。日本版画協会展、国展で新人賞受賞後、出版社に入社、出版・広告の分野でも活動。1996年より多摩美術大学講師、2023年より同大学名誉教授。「日曜美術館」「タモリ倶楽部」など、テレビ番組の監修・出演も多い。著者に『図解発想法 知的ダイアグラムの技術』『ジャパネスクの見方』『恋愛美術館』『名画の暗号』『ビジネス戦略から読む美術史』などがある。
Nishioka Fumihiko
エル・リシツキーは、ロシア革命直後のソヴィエト連邦を中心に活動したデザイナーであり、視覚表現における「革命」を追求し、建築や写真の分野でも多くの業績を残した。
ロシア未来派詩人マヤコフスキーの13の詩篇を収録した『声のために』は、「詩とタイポグラフィを同等に扱い、一体にする試み」(リシツキー)であって、複数の読み手が同時に音読することを前提にデザインされており、現代のピクトグラム、パソコンやスマートフォンのアイコンデザインに至るまで、その後のグラフィックデザインにはかり知れない影響をもたらした。
また爪掛け式のインデックス、いわゆる「ツメ」もこの本によって、初めて試みられたとされている。西岡氏は、この『声のために』は、デザインが民主主義のためのコミュニケーション・ツールにほかならないことの象徴であると位置づけている。
続いて氏は、自身が大きな衝撃を受けた視覚表現としてチベット密教の図像群から、「見ること」の時代や民族を超えた普遍性を読み解き、さらにヴィジュアル・コミュニケーションの理想のあり方の一つとして、大伴昌司が構成したかつての『少年マガジン』の特集図解ページにも言及する。
近代以降、デザインとアートの間には境界が引かれ、そこには暗黙のうちに実用に供するデザインを下位とし、「純粋」表現としてのアートを上位とするヒエラルキーが設定されているが、西岡氏は、本来アートの本質は、神、あるいは自然を真似ぶ「デザイン」にあったことを指摘。
見ること、見せること、伝えることには、美的な責務や社会的な責務があることはもとより、霊的な責務があることをあらためて認識することが、現代のアートにとってもデザインにとっても不可欠であることを強調する。